1982年

MORAL 楽譜(バンドスコア)より

親切対談 

今回で3回目になる"TALK TO KIND" みんなから送られて来るハガキ等でも大好評の様子。 -THANKSI

で、今回はね、再び氷室クンに御登場願いましてJUST TIME...。

MORALの頃のBOOWYとか、その周辺の音楽シーンについて話してもらおうかと思っているのです。

BOØWYのデビューアルバムとなったモラル・・・・。

今でこそ、再発売されてオリコンなぞにも顔を出す様にまでなったデビューアルバム。

そして、ライブ活動。 その辺を中心に話しを進めて行こうかなと思っているのですXXX。

 

紺ーまた今回もよろしく、ちょっと長くなるの かも知れないけどお願いします。

氷室ーウン・・・・ただネ、オレ具体的なDAY TIMEとか忘れがちだし...やっぱり今の

俺としての答えになっちゃうと思うヨ。

紺ーもう5年前後たつもの、とりあえず記憶をたどったりで、モラルとそのあたりのBOOWY.....で、

それをとりかこむ 来シーンなんてのをちょっと聞こうかな

氷室ーオーケー、思った通りの対談になる様、 努力するヨ。

紺ーどうもありがとう。

このモラルの詞って、もしかすると全部のアルバムの中で、一番好きかも知れない位気にいってるんだけどー。アルバム一作一作にもいえる事だけどすごく表現方法とか今どちがうじゃない。

書き手で有る氷室京介としてはその辺でどんな意識持ってやってるんだろうなって

氷室ーウン・・・。確かにちがうかも知れない。 紺ちゃんが、モラル気にいってくれたみたいに

インスタントラブが一番だって。奴や、BOOWYが一番って奴も居る。 つまりさどれも俺の詞なんだ事においちゃ、何の意識も変化もないし、ましてロックを一つのスタイルでずっとやらなけりゃいけないなんてルールはじめから信じてねえし

俺だって、うん、俺に限らず、一人の人 1間っていろいろな面持ってるわけでしょ

例えば、それを1日って区切ったっ ていい・・・・・朝と昼と、夕方と夜と、それから夜中があってさ ちゃんと一日だってドラマなわけじゃない。

食事してる気分とか、散歩してる気分とか、女抱いてる気分とかさ

もしも俺が、夕方が一番うけてますから、 夕方ばっかりうたにして下サイとか言わ れても、クソくらえたし、もし、夕方が、一番得意で、なれない朝をうたにしてうまくやれなかったとしても、それは俺の朝だって事で堂々とやっちゃう...。 素直な事と、しがみついちゃう事って、 絶対にまちがえちゃいけないと思うヨ・・・。

すごく似てるかも知れないけど、絶対まちがえちゃいけない。俺自身も、その辺にはいつもこだわってると思うヨ。例え、表現スタイルが、変わった事をジャーナリ ズムにこきおろされたとしても、俺は、 自分の思った通りにやるしー。 オーディエンスっていうかさ、俺らの事を支持してくれてる奴らとの信頼関係は絶対そこに有ると思うし、またそうでなけりゃいけないよね
評論とか何だとかでワンクッションおいて判断する事はないんだよ考にはすべきかも知れないけど、もうそろそろ 自分の耳や感性をみんなが大切にしなきゃいけない時期がきてると思う。

誰が何つったって俺はこれだけはゆずれない みたいなさ

紺ーすごく良くわかるけど・・・今の音楽業界のシステムっていうか、売れる為の方法論とかとはあまりそのやり方って合いそうにないよね

氷室ーそうかも知れない一 だからこそ、モラルの頃っていうのはそういう意味では  売れなかったのかも知れない。

けっこういろいろ書かれたし今よりもっとジャーナリズムに世の中皆踊ってた。

だけどね、作品とか自分達がライブを繰り返したスペースは、すごく納得いってた...

うん、満足じゃなくって納得ネ  あの時なりに俺違は精いっぱいやってたし、あんなライブバンド他に居なかったと思うヨ

で、だからこそ今がある 今につながっている思うヨ

紺ーうーん やっぱり、ザ芸能界っていうか、あたり前のスタイルっていうか、そういうやり方とは違うよね

氷室ーまぁ、俺らがBOOWY をやり出した頃ってゆうのはサ、基本的に1つのムーブメントにケリがついていたって云うか、何にしてもロックってカテゴライズされた。

ジャンルが一つのハザマだったと思うんだ

紺ーというと?

氷室ー例えばね、ブラウン管ではチャーとか世良サン、それから原田真二さんとか、けっこう頑張っててサ、で、ストリートの シーンでは、東京ロッカーズとかが、場面を張ってた。

そういう1つのシーンが、ちょうど一段落着いてた時期なんじゃないかなと思うんだよ

紺ーうんうん

氷室ーねっ、だから、バンドやってくって事では、ひどく不遇な時だったと思うんだよ ビート系のバンドとかもいくつか出てきたけど、しっかりしたムーブメントづくりも、例えばチャートインとかもでき

ずに消えて行っちゃったと思うんだ。

紺ー確かにそんな感じ有るね...。 世の中とか業界とかが団結して、バンドなんていらない、売れないよ的なさ。

氷室ーそう、そんな中でBOOWYは結成されたしモラルも発表された。 レコード評とか有るじゃん、どこの本か忘れたけどすごいの有ったんだゼ。

ボーカルの名前がヒムロ、ギターが、ホテイ、それでバンド名が、ボーイだなんてフザケタ連中だ的なネ。

とりあえず真剣なわけじゃん、俺達。 レコード作りだって、ライブステージだって フザケタ名前だって思ったってかまわないけど、やる事はやってほしいヨ、敵にもさ...。

紺ーやめようとか思った事無かったの?

氷室ー意外とクールでさ俺ら・・・・・って云ったら聞こえ良いけど、まわりの事なんて、ましてスタートしてすぐなんか、自分達がどんな組織の中で、どんな事やってんのかわからなかったもん。

金無えけとか、アイツらいーなとかは思ったけど、やめたいとか自分達をおいつめたりはしなかった・・。 それをやったらすべて終りだヨ。 何だか良くわからなかったけど、信じてる事とか、ウーン・・・やっぱり夢は見てたよね...。結局楽しかったものあの頃...。今思うと、今にとってあの頃はひどく重要な時間や風景だったと思うよ・・・。

だって今、好きな事自然にやれてるって 体がおぼえちまってるもの。必要な事と不必要な事...理屈じゃなくて、自分達がどっちへ行けば良いのかって事をさ

たまたま売れてるけど、だから性格とか ぜんぜん変わってないと思うヨみんな...。何もわからず、売らされちゃったわけじゃないし、今はもうけっこうベテランだしねそのへんは・・・。

紺ーで、この先も変わらないゾって...

氷室一変われないんだろうなきっと...。で、大金持ちになったら、えらくイヤな奴になっちゃったりしてネ...ダイヤギラギラなイヤミな奴・・・。

紺ちゃんも注意しといてな、いつ裏切るかわかんないゼ(笑)

 

紺待人

" 思い出しながら、言葉を選びながら、ヒムロはていねいに話してくれた。 やさしい奴だと思う。氷室には失礼かも知れないけれど、もし彼が音楽なんて仕事をしていなかったら、どんな仕事やってて、どんな暮しをするんだろうって考えたら、ふと口もとがゆるんでしまった。はげしさだけじゃなく、オフステージでのそんな彼の魅力は、だからこそはげしさを、本当のはげしさに変えてしまえるにちがいないと思

金持ちになったって変わらないよ氷室...。 ヨォ!!ってきっと、氷室の方から右手を上げて来るサ...。

その時はインタビューなんかじゃなく、ゆっくり話してみたいと思う。"今日はホントにどうもありがとう!!" もうひとつのモラルとして、氷室のいろいろ事が、みんなにうまく伝わっていれば幸いです。

 

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