1986年

“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986 楽譜(バンドスコア)より

Talk to Kind”5

~親切対談~

[ACT 1]

86年7月2日

BOØWYはロックバンドとしてついに日本武道館に登場する。 - チケットは発売と同時に売り切れ、わずかに残った当日券を求めてテツヤ組を含み、かなりの列がはやくからできていた。

また、スタッフもテツヤで、この日の為の セットを組み立てていた。

舞台、照明、そして音響...。 それでなくても、この日本一デカイライブハウスを成功させる為には、いつものコンサ ートの何倍も準備があるというのに、このス テージには、TVカメラとそしてレコー ングの機材たちまでも所せましと、セットアップを始めていた。 PM 12:00、メンバーの楽屋入りの時間だ。

武道館のステージメイクもそろそろ終ろう としている....。

86年 7月2日・日本武道館 BOØWY FJUST A HERO TOUR FINAL "GIGS”

1. PROLOGUE
2. BAD FEELING
3. ROUGE OF GRAY
4. BLUE VACATION
5. JUSTY
6. BABY ACTION
7. GIVE IT TO ME
8. LIKE A CHILD
9. HONKY TONKY CARZY
10. わがままジュリエット
11. 1994-LABEL OF COMPLEX-
12. WELCOME TO THE TWILIGHT
13. DREAMIN'
14. INSTANT LOVE
15. IMAGE DOWN
16. TEENAGE EMOTION
17. JUST A HERO
18. DANCING IN THE PLEASURE LAND
19. NO.NEW YORK

[ACT 2 TALKS]

紺ーまずは、武道館おめでとう!すごかったねホントに...。

氷室-ありがとう...。今ってホントに素直にありがとうだヨ…演る前ってピンと終った今は感慨深い物があるもの。やっぱりすごいヨ あそこは

俺も、メンバーも、けっこうちゃんとあがっちゃったもの、久々に

紺ー ヘーえ、あがったなんてめずらしいね

今日はサ、皆にそのへんの事聞いて、それから、アルバム "GIGS” に入ってる曲がどうして選ばれたのかとか そのへん聞きたいなと思ってるんだ。

布袋一僕なんか、SEの鳴り響いているステージ裏で、涙出て来ちゃったもの。嬉しいとか、すげえなとか、そんな直接的な物じゃなく…何だかわからないんだよね...。でも、

とにかく止めることのできない涙が知らないうちにあふれてた。

松井一落ち着かなかったよ実際...アレェ...み たいなさ

氷室一楽屋に居る時は、何でもなかったじゃん まったくいつもと同じ 俺らって すげーな位の事云ってサ...

ーBOOWY 達は、武道館でもスペシャルな事は何一つしなかった。

JUST A HERO ツアーで全国をまわった  そのままのコンセプトで、そのままの曲 順で武道館のステージに立った。地方もライブハウスも、武道館も変りはしない。集まってくれた連中にそんな“ウラギリ”はしない...。同じだけすべて楽しんでほしいだからこそ、彼らは、通路をぬけてステージわきに入るまで、誰1人もあがったりはしなかったという一

高橋一だって8000人のパワーとか、やっぱすごいじゃん 全員俺達の事見に来てくれてるって感じ...。いつもとはちがうテンションが あったよ

氷室ー単純に数の差ってあるかも知れないネ 武道館だとか日の丸しょってだとか、あんまり時代がかった感情なかったけど

布袋ーやっぱり、みんなが、全員が、俺達だけを見に来てるのってすごい事だヨ...。

松井ー確かに...。 来てた人達、結局俺達と同じ様にあの人間の数っていうか波に酔ってたみたいな所あったもの ——感動、感動!!

紺ーそれは客席中にあったねたしかにーいつものライブとちがって、あんな大 きなスペースのくせに、いつもの何倍も参加意識みたいなのあったもの...。あの瞬間に、全員があの感じを、あの場所で感じる事ができた事って、やっぱりすごいステキな事だと思う それこそ大人になっても忘れない的なサー

布袋ーだから7月中にライブアルバム出した。かったんだよネ.. 生モノはおはやめにっていうか追加公演は、レコードですみたいなサ...。

紺ーなるほど...。でも、実際大変だったでしょ 7月2日の音を1月31日までに。 レコード盤にするなんてサー.

松井一そりゃー大変でした。(笑)

氷室ーだってホントだよね...武道館終って翌日からスタジオ入りだもの...。 自分達から云い出した事じゃなかったら、即やめちゃうヨ...。

紺ーでも、頑張っちゃった・・・。

布袋ーけっこう...やっぱりネ。 ライブアルバムっていっても、やっぱ りレコードは、レコードでしょ... ライブの熱気って、そのままで、でプラスきちんとしたレコード創りの中で、

きちんとしたアルバムにしたかったからー。キカイ物とかキーボードとか重ねる事でちゃんとハイグレイド的な 作品にしたかったんだよね...。で、

そうする事で、ライブ感とか、ファンの皆の熱さみたいなのが余計に強く残せれば良いナって思ってたー。 すごくベスト盤的なニュアンスが強い 選曲になってると思うし、

ライブにはライブの、レコード盤にはレコード盤 への責任て言うかサ...。」 何にしたって中途半パな事はしたくなかったから、

松井ーそうだよネ...俺達3人で演奏してるわけだし、いつだってライブは、ライブ、  レコードはレコードで最高の物をって。考えて来たものね...。

ステージじゃ3人だからこそ最高だっ ってアレンジしてるし、演奏してる――。

紺ーうんうん...で、今、選曲の話が

と出たけど、どんな基準で、曲選んだ の...。19曲演ってるうちの11曲。けっこうまよったりした?

氷室一今、ホテイも云ってたけど、ライブでのベスト盤的なニュアンスで選んだって云うのかな...。逆に云うと、俺達ライブバンドだし、 ベスト盤はライブで出したかったって

のもあったしネ...。 スタジオ録音じゃないライブでの録音。を素材にしたオリジナルアルバムてっ 云うかさ...。

あと、どうしても7月中に出したかったっていう部分での時間的な問題もあったし...。

布袋一そうなんだよネ実は...。 普通はさ、録った音を全部聞いて、当然録音の状態の良い奴をみたいな事も選曲基準にはなるんだろうけどー。 どうしても2ヵ月後とかの発売にしたくなくて

初めに曲の方を選んじゃって最終的にレコード盤にしなきやならなかった所もあってね...。

考えてみればかなりムボウなやり方だったけど、 まあとりあえず

BOOWYにミスは無いぜって事で...(笑)

紺ーじゃあ、曲の方が先に決まってて、逆 にステージでその事考えてキンチョー しすぎたりとかなかったの?

氷室ーレコーディングしてる事忘れてたもん すっかり! ( その事じゃ、だからちっともキンチョ ーなんてしなかったヨ。

松井一忘れるが勝ちでしょこの場合(笑)

布袋一だからヒムロがいつもステージで云ってる様に、まさにこの曲から BOOWY は始まりましたっていうイメージダウン。それとシングルとオープニングから3曲めまでのスピード感、

メンバー みんな好きだしみたいな感じで選曲してったよネ...。

氷室ーつまりはベスト盤って事。おわかり?

布袋一でね、きちんと、ライブバージョンでコピーしたい人にとっても、ちゃんと わかりやすいアレンジに 、

うから、オリジナルに比べて テージはやりやすいと思うヨ...。

あるバンドスコア見てたら、ギター ツインです”とか平気で書いてあったりして、そりゃ今時だれだってレコーディングでギターはかさねますヨっつ ーの...。

あんまりいーかげんな解説のってる本 にまどわされない様に...。 ツインに聞こえる様に5本かさねてる事もあるし、みょうにひずんでたって1本の事はある...。 で、ステージじゃいつもギターは1本なわけだしネ...。

高橋ーわかるわかる、けっこうデタラメなの多いよナ、特にうちのバンドの場合...。だから余計このアルバムちゃんと聞くとスリーピースでのかっちょ良いアレンジとか良くわかるだろうし、これを 参考にすれば、BOOWY のレコードを ライブアレンジに直す時に、すごく参考になって役立つと思うヨ...。

松井ーこのシリーズの一番初めにも云ったと 思うけど、やっぱり自分の耳で確かめ て、で、その事信じて練習して、その 、辺からオリジナリティーって生れて来てからる物だしネ...。

氷室ーけっこうBOOWYのタネあかしって感じ強いし、GIGS は、GIGS で大きい音で、じっくり楽しんで、しっかり練習してほしいよネ...頑張って...。 。

[ACT 3 eto BOØWY”)

BOØWY 達は、GIGS のレコーディングが 終ると、すぐ夏のイベントで、再び日本中を 飛びまわり、おまけに、7月末からは新しい シングルのレコーディングにいよいよ入るらしいー

このインタビューを行っている最中にも、 整理しきれないくらいの新しいアイデアがいろいろあるんですヨとヒムロがニヤリとおしえてくれた。

いつ休んでるんだろうー。 ふと考えたりもしたけれど、それはすぐにやめにした。

次から次へと新しい事を生み出してしまう、 ビックリおもちゃ箱みたいな BOØWY 達の、 次のプレゼントが、僕だってまちどおしくて 仕方が無いから一 「彼らは最後に、見に来てくれた人と、すべ てのファンにありがとうって云ってたヨと書 いてくれといっていた。

いつも楽しませてくれてありがとう。 お礼を云いたいのは僕らの方さ...。 目の前のコーラを飲みほすと、ヒムロは席を立ち、再びしばしの別れをBOØWY達とかわした。

紺待人

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